寺院紹介

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当寺院について紹介いたします。

蓮昭寺沿革

photo01 延慶元年(1308)、中老僧日辨上人の開基で鎌倉に草創されたと考えられる。
天正2年(1574)この地を領していた布施佐渡守康純が土地を寄進し、日言上人を迎え本山:比企谷妙本寺(鎌倉)の末寺として現在地に再興。
布施佐渡守の本山:妙本寺への功績により当寺は末寺首座となる。(新編相模國風土記稿より意訳)

布施佐渡守康純

photo02「北条氏康に仕へ、軍功あり」とされる。寛永布施系譜曰、弾正左衛門康則、永禄7年(1564)、相州鴻ノ臺合戦の時、鎗を合せ疵を蒙る、氏康是を感美し、佐渡守となづけ、且父廉貞が預る所の團扇の役を勤めしむ、相州の内、大住半郡、板戸村、大槻村、及豆州小坂村、武州岩槻領内の内、善能寺、稲毛の庄内、野川村等を領す、天正13年(1585)12月3日、小田原にて死す、法名調御院芳澤日勝、

日蓮上人と日蓮宗

日蓮聖人(にちれんしょうにん)の生きた鎌倉時代は、お釈迦さまがなくなったあと、仏教が正しく理解されず、悪い教えがひろまって人々を苦しめる末法(まっぽう)という時代に入っていました。地震(天災)戦さ(人災)が起こり人心は荒み、とても酷い社会でした。その理由を知るため、日蓮聖人は仏教の経典をすべて読みました。

そして、お釈迦さまが悟った真理は、法華経(ほけきょう・妙法蓮華経)に書かれている、と知りました。法華経には、お釈迦さまは遠い昔から未来まで生き、永遠にあらゆるものを救いつづけ、特に末法の人々を救う、と書かれています。

日蓮聖人は、末法に生きる人々を救う最高の薬である法華経(妙法蓮華経・みょうほうれんげきょう)をひろめる役目が自分にあると自覚し、法華経ひろめ実践することを誓いました。

『立正安国論(りっしょうあんこくろん)』で人と社会の幸せを鎌倉幕府に訴えると、たくさんの妨害にあったのですが、それは教えを実践している証拠であるとし、法華経の行者(ほけきょうのぎょうじゃ)として生き通しました。

弘安(こうあん)5(1282)年、数え年61歳で亡くなった日蓮聖人は、末法唱導師(まっぽうしょうどうし)と呼ばれ、お祖師(そし)さまと慕われて、いまでも人々を法華経の信仰に導いています。その流れを正しく汲んでいるのが、日蓮宗です。

お問い合わせは電話0463-58-2943またはメールにて

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